(「落語の誕生」の続き)
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落語は、東京は座敷、京都は大道、大阪は神社とそれぞれ違った場所から発展していきました。
鹿野武左衛門から始まった東京の座敷噺はその後、現在の江戸落語になります。
一方で、露の五郎兵衛から始まった辻噺は京落語、米沢彦八の軽口噺は大阪落語と呼ばれるようになります。ただ、京都の京落語というのが昭和初期になくなってしまい、大阪落語と一緒になって上方落語と呼ばれるようになります。
このようにしてそれぞれ発展していった落語ですが、江戸落語と上方落語では、成り立ちが違うことから、異なる点があります。
江戸落語と上方落語の異なる点は見た目でわかります。
上方落語では演者の前に「見台」という小さいテーブルが置いてあって、その見台の上に「小拍子」という短い二つの木があります。この用具で噺の場面転換やリズムを表現しますが、もともと上方落語が大道の道端や神社の境内などの屋外で発展してきた芸で、手ぬぐいや扇子などの道具を地べたに置いたら汚れてしまいますので、見台の上に置いていました。
それから、屋外で長時間正座をすると膝が痛くなりますよね。正座をせず、あぐらで噺をすると見ている人に失礼ですので、「膝隠し」でそれを隠すわけです。
また、屋外の場合は通りすがりの人たちの足を止めなければなりません。そのために見台を小拍子で打ってカチカチ音を出したりして、注意をひきつけていたのです。
一方、江戸落語が「座敷」という屋内で発展してきました。長時間正座をする必要なく、噺をするのでお客様はそれをわざと見にやってくることがありますので、見台などは不要です。
外国人から見ると、江戸落語よりは上方落語が大げさで、カラフルです。やはり屋外で生まれたせいなのか。とにかく、上方スタイルの噺家は「うるさい」であることはDNAに刻んでいるのでは?
あと、上方落語では三味線が入る「ハメモノ入り」の演目が多くあります。上方の人は派手な演出が好きで、江戸っ子は渋さを好むことがありますね。そのお客様の期待に合わせて「ハメモノ入り」が生まれたようですが、たとえば旅をテーマにした演目では演者が「さて、出発するぞ」との一言で演奏が始まり、気分をウキウキさせる演出となります。
しかし、江戸スタイルでも上方スタイルでも、落語家にはかけがえのない小道具があります。それは扇子と手拭いです。
この小道具を使って、動きや仕草を強調したりして、噺の登場人物にもなりやすくなります。刀/扇子を取り出す侍。お箸/扇子でそば・うどんを食べる屋台のお客様。財布/手拭いからお金を取り出す旦那さん。煙管/扇子でタバコを吸う花魁。
ちなみに、上方落語の扇子と江戸落語の扇子はサイズが違います。
でも、それは今度、話しますね。