Cyril COPPINI

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落語散策

落語のはじまり「岩戸隠れ」の神話

読む時間:およそ3分

落語の根本的な定義は日本の伝統芸だといえるでしょう。

伝統芸は大きくわけて文楽、歌舞伎、能、そして落語の4つです。
伝統芸の写真を並んでみると、いつも思いますが、落語以外、みなは派手な色や高級そうな着物、立派なメイクやお面。落語だけは一人の演者が着物(しかも地味な色が多い)をきて、座布団に座っているだけ。見た目はちょっぴりさみしいかも。
でも、4つの中には落語が一番「庶民」的な芸で、子供から年配まで愛され理解され、人気があるのでは?どの年齢でも楽しめる芸でしょう。
そして、落語の成り立ちは他の伝統芸と並び、日本の神話にある「岩戸隠れ」とも関係をしています。

昔々、天の神様の世界にアマテラスとその弟のスサノオがいました。
スサノオはめちゃくちゃな暴れん坊でしたが、アマテラスは「もう無理だ…こいつと関わりたくない」と逃げだし、岩戸、つまり洞窟に入りました。大きな岩で入り口をふさぎ、閉じこもってしまいます。

アマテラスは太陽の神様ですから、太陽がなくなると世界から光が消え、色んな悪いことや不吉なことが起こり、天の神々は困り果ててしまいます。そこで神様たちは集まって相談をします。オモイカネという知恵の神様がアマテラスを洞窟から出すために色々な案を出し、神々はそれを全部やってみることにしました。

まず、鶏を鳴かせます。次に榊の木に勾玉と鏡をかけます。アメノコヤネとフトダマという神が、占いをして、祝詞を唱えます。
でも、アマテラスからはノーリアクション。
すると、アメノウズメという神が、桶を裏返し、その上でおもしろおかしく踊りはじめて、神々が一斉に笑いだしました。
アマテラスは「太陽の神である自分がいなくて悪いことばかり起こっているはずなのに、なぜみんな騒いで笑っているのだ」と問います。
踊っていたアメノウズメが「あなたよりも貴い神が現れたので喜んでいるのです」と答えると、その貴い神を見たくなったアマテラスは、岩の隙間からこっそりと顔を出します。
そこにアメノコヤネが鏡をすっと出し、その鏡に映った自分の姿を見たアマテラスは、それが貴い神と勘違いします。そしてアマテラスが油断している隙にアメノタヂカラオという力持ちの神様が岩をどかし、アマテラスを洞窟の中から引きずり出します。

世界に光が戻りました。めでたしめでたし。

これは「古事記」や「日本書紀」に描かれている神話のお話ですが、この話の中で、「アメノウズメという神が、桶を裏返してその上で踊ると神々が一斉に笑いだした」という記述がありました。
正確には「わざをき」をしたと書かれています。

「わざをき」とは、日本語の古語で「芸(わざ)をもって神を招く(呼び寄せる)」という意味ですが、そこから転じて、「滑稽な所作や歌舞によって神や人を楽しませるわざ。またそれをする人。」を指す言葉になったそうです。
まさにアメノウズメがしていたことそのままです。
実はこれが日本の芸能のはじまりだとされています。

そして、この「わざをき」を漢字で書くと「俳優」なのです。
つまり、日本では古来、芸能というのは神様を笑わせたり喜ばせたりして楽しませることであり、俳優とは芸をすることによって神を招く人を言ったわけです。
そもそも「神様を招き、笑わせ、喜ばせてもてなすことで、機嫌よくいていただき、その神様から福をいただこう」というのが日本の伝統芸能の原点なのです。

「笑う門には福来る」などいいますが、神様は笑いのあるところに降りてくるということでしょう。

To be continued

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