(「日本語の勉強から落語の道へ」の続き)
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落語との出会いは学生時代で、今から20年以上前のことですが、初めて高座に出られたのは2011年の秋。以来、国内外で落語の口演をおこなっていますが、チラシではよく「フランス人落語家」という書かれ方をします。しかし、落語は和芸ですが、話芸でもありますので、言葉は慎重に選ばなければなりません。
わたくしは「落語家」ではなく、「落語パフォーマー」です。
「落語家」は「見習い」「前座」「二つ目」「真打」といった具合に、厳しい修行を積んだ人のことを意味します。身分制度が非常に重要な落語の世界では、誰でも「落語家」を名乗れるわけではありません。
日本独特の制度である「縦社会」に基づくものですから、いくら日本に長く住んでいても、また日本語が流暢であったとしても、幼い頃から日本の教育を受けているわけではない外国人のわたくしにとっては、理解しづらいことも多く、修行に耐えるのはとても無理だろうと思います。師匠の鞄持ち修行の一つだということであれば、わたくしも少しは修行をしたと言える時期があるにはありますが…
ちなみに、修行のことを詳しく知りたい方には「どうらく息子」という漫画をお勧めします(フランス語版の翻訳を担当しています)。
もし、「落語」の二文字を初めて目にした時から本格的に修行をはじめていたとしたら、ひょっとしたらいまごろ「真打」辺りの身分になれていたかもしれませんが、当時は落語を演じるというよりは、まず研究者として落語の世界に足を踏み入れました。実際に日本にきて寄席で生の落語を聞くと、自分も高座に上がってみたいと思いましたが、年齢的にもう修行をするには遅すぎました。
一般的な修行をせずに演者になる手は一つしかありません。それは、社会人の「アマチュア落語家」になることです。ところが、「アマチュア」という肩書きだと、ある問題が生じます。それは出演のオファーがきても、「ギャラ」をいただけないということです。では、どんな肩書きがいいのか… 真剣に考えました。
こうしてわたくしは「落語パフォーマー」を名乗ることになったわけですが、「落語家」ではないわたくしにはとても残念なことがあります。それは、羽織を羽織ることができないということです。格付けでいうと「二つ目」になったら、羽織が羽織れるのですが、その意味では、わたくしは永遠の「前座」なのです。
しかし、永遠の前座としても落語はやめません。
落語は海外に日本の文化を伝える楽しいツールでもありますが、「あなたにとって落語とは?」とよく聞かれます。高校、大学で日本語を学び、その後、日本で日本語を使って仕事をするようになり、でもこれ以上どうやって日本語に磨きをかけられるのか、という疑問が湧いてきました。そうだ!四迷の研究に戻ればいい!でも、図書館で缶詰になって研究するのはちょっと寂しいし、人と交流することは少なくなる。そんなとき、「落語がある!」と。実際にやってみると、新しい語彙も覚えますし、ふつうの話も面白くなったりします(笑)。
落語は、日本語の勉強の延長なのです。